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12月4日は血清療法の日 テルモの設立者・北里柴三郎博士のお話

2011/12/08 17:31
丸山隆平

読む時間:約3分半

infoseek

第1回のノーベル賞候補にあがる

1890(明治23)年の12月4日、北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法の発見を発表しました。
北里 柴三郎(1853年(嘉永5年) - 1931年(昭和6年)は。「日本の細菌学の父」として知られ、初代伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)所長、日本医師会の創立者です。

熊本県阿蘇郡小国町に生まれ、軍人を志していたましたが、両親の願いにより藩校時習館から熊本医学校へ進学します。1875年(明治8年)に東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学、1883年(明治16年)に医学士となる。在学中「医者の使命は病気を予防することにある」と確信し、予防医学を生涯の仕事とする決意をし、卒業後内務省衛生局へ就職します。

1885年(明治18年)からドイツベルリン大学へ留学し、コッホに師事し、1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌だけを取り出す「破傷風菌純粋培養法」に成功します。続いて1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見し世界の医学界を驚嘆させます。さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発しました。

1890年(明治23年)には血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表します。

第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に柴三郎の名前が挙がりますが、結果は抗毒素という研究内容を主導していた柴三郎でなく、共同研究者のベーリングのみが受賞することになります。柴三郎が受賞できなかったのは、一部には当時の日本人に対する人種差別があったという説もありますが、ウェキペディアによると、ベーリングが単独名でジフテリアについての論文を別に発表していたこと、ノーベル賞委員会や選考に当たったカロリンスカ研究所が柴三郎は実験事実を提供しただけで免疫血清療法のアイディアはベーリング単独で創出したと見なしたこと、ノーベル賞創設直後の選考で後のような共同授賞の考え方がまだなかったことなどが理由としてとしてあげられています。

この論文がきっかけで柴三郎は欧米各国の研究所、大学から多くの招きを受けますが、国費留学の目的は日本の脆弱な医療体制の改善と伝染病から国家国民を救うことであるとして、これらを固辞して1892年(明治25年)に帰国します。

官に拠らない独立の気概で数々の実績

ドイツ滞在中、脚気の原因を細菌とする東大教授・緒方正規の説に対し「脚気菌ではない」と批判したため、「恩知らず」として母校東大医学部と対立する形となり、帰国後も日本での活躍が限られてしまいます。

しかしこの事態を聞き及んだ福澤諭吉の援助により「私立伝染病研究所」が設立され、柴三郎は初代所長となります。この「私立伝染病研究所」はその後、国に寄付され、内務省管轄の国立伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)となります。また、1894年(明治27年)にはペストの蔓延していた香港に政府から派遣され、病原菌であるペスト菌を発見するという業績をあげます。

現在の社団法人北里研究所(北里大学の母体)の設立は柴三郎の長年の東大との対立が背景であると言われています。1914年(大正3年)に政府は所長の柴三郎に一切の相談もなく、伝染病研究所の所管を突然、文部省に移管し、東大の下部組織にします。柴三郎はこれに反発し所長を辞し、新たに私費を投じて私立北里研究所を設立。狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みます。

諭吉の没後の1917年(大正6年)には、諭吉の長年にわたる多大な恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となります。新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や、赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力したといいます。

また明治以降多くの医師会が設立され、一部は反目しあうなどばらばらでしたが、1917年(大正6年)に柴三郎が初代会長となり、全国規模の医師会として大日本医師会が誕生します。その後1923年(大正12年)に医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたります。 当時、日本を代表する医学者として柴三郎と並ぶ野口英世も北里研究所に研究員として勤務しており、柴三郎とは形式上師弟関係にあります。 

テルモの筆頭設立発起人

北里柴三郎はまた、テルモの設立では筆頭設立発起人を務めました。テルモは1921(大正10)年 9月 北里柴三郎博士をはじめとした医学者が発起人となり、優秀な体温計の国産化をめざして「赤線検温器株式会社」を設立したのに始まります。 1922(大正11)年 2月に初めて体温計を出荷、1936(昭和11)年 11月 「仁丹体温計株式会社」に商号を変更します。

テルモは現在、医療用機器の製造を広く行っており、カテーテルや人工心肺装置などの心臓・血管領域商品群では世界で高いシェアを持っている優良企業です。注射器に予め薬品が充填されている「プレフィルドシリンジ」シリーズは、日本国内でトップシェア。一般向け商品では、体温計・血圧計・尿検査試験紙などが有名です。

体温計を作る目的で作られた同社の国内体温計シェアは二位ですが、売り上げの占める比率は1%程度であり、現在利益の殆どを占めているのは医療機器、医薬品、心臓・血管領域商品群の製品です。

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